青島さんは日本のN大学の1年生です。
学部は経済学部で、N大学は私立大学としてはまあまあのレベルです。
高校時代に担任の先生からの強い勧めで、早々と推薦入学でN大学への入学を決定しました。
4月に晴れて大学生になり、入学式も終わりいよいよ授業登録です。
1、2年生のうちにとにかくできるだけ多くの単位を取り、就職活動を行う3、4年生の時に支障がないようにとか、専門科目の単位をなるべく早く取って早い時期から専門の分野の知識を得るようになど、先輩や周りの人たちからアドバイスされていたので、月曜日から土曜日までびっしりと授業を受けるスケジュールを組みました。
前期で15科目、25単位です。
日本でもセメスター制を取り入れ始めた大学が増え、N大学もセメスター制です。
そのため、前期で終わる科目が多く、ほとんどの科目が2単位または1単位です。
ひと通り1回目の授業に出てみましたが、高校時代の勉強とかなり異なり、語学の授業を除くと、教授が一方的に講義をするという授業形態がほとんどです。
内容も教授がその専門分野のことを話し、教科書もその教授が書いた専門書か、教科書がない科目もありました。
4月、5月が過ぎ、6月になると青島さんは、本当は経済学の授業にあまり興味がもてないことに気づき始め、しばしば授業を欠席するようになりました。
それでも試験前には、友達にノートを借りたり、試験に出そうなところを教えてもらったりして、7月の前期試験は、少しだけ「可」を取ったものの、ほとんど「良」の成績を修めることはできました。
夏休みになり、果たしてこのまま昧気のない経済学を専攻して、卒業まで過ごしてよいものだろうかと真剣に考えるようになりました。
青島さんはふと、高校2年生の夏休みにアメリカでホームステイを体験した時の楽しかった日々を思い出し、機会があればいつか本格的にアメリカの大学で勉強してみたい、と考えるようになりました。
N大学にも1年間の交換留学制度がありましたが、3年次まで待たなければなりません。
選抜の条件も厳しそうです。
そこで、カウンセリングを通じて夏休み中にアメリカ留学の可能性や方向性を探るため、留学研究所を訪れました。
カウンセラーは、アメリカの大学に編入するのに現在の成績で問題ないこと、編入する時にはアメリカの大学で認められそうな科目の単位をできるだけ多く取っておくと卒業するために要する年月を減らすことができること、英語力は高いにこしたことはないが、留学先の大学を適切に選べば英語力が低くても語学留学ではなく学位をめざした留学ができることなどをアドバイスしました。
さらに、現在1年生であれば、後期にできるだけアメリカの大学に編入単位として認められそうな科目を多く履修すること、翌年9月から始まる秋学期に編入学をめざす場合、2年生の前期までN大学に在学しつづけて単位を取れば、アメリカの大学の3年生に編入でき、しかもうまくいけば2年間でアメリカの大学を卒業できるかもしれないというアドバイスもしました。
一方、青島さんはアメリカの大学で何を専攻しようかと思案していました。
カウンセラーは、青島さんが高校時代に放送部に入っていて、人前で話すことが比較的得意だったことを聞くと、アメリカの大学にはスピーチコミュニケーションという専攻があるということをアドバイスしました。
そこで、編入単位を考えて、青島さんが1年生の後期にどのような科目を取るべきかをカウンセラーがチェックすることにしました。
青島さんは夏休み明けの後期の授業登録の前に講義要綱を持参し、留学研究所を再び訪れました。
カウンセラーが今までの履修科目と単位数をカウントして、アメリカの大学での一般教養科目と照らし合わせ、今後大学で取っておくとよい科目について検討しました。
そして、夏休み明けから直ぐに本格的に翌年9月編入に向けて準備を開始しました。
カウンセラーが青島さんにアメリカの大学カタログの読み方を指導し、出願の対象になりそうな大学のカタログを何冊も読んでもらいました。
読み進めるにつれて、スピーチコミュニケーションという専攻にますます興味をもつ様子でした。
何校もの大学カタログを読んでもらうにつれて、青島さんは大学によって少しずつカリキュラムが異なることを理解し、ますます専攻をスピーチコミュニケーションにしようという意思を固めました。
日本で経験した大学進学とは大きく異なり、自分の意志で自分の将来を選んでいるという実感をもったようです。
カウンセラーの指導のもとに順調に出願書類もそろい、志望校を3校に絞って出願しました。
TOEFLは、3月の出願時に54点というスコアでしたが、3校の出願校のうち、第一希望のMuskingum CollegeはESL(留学生のための英語のクラス)がないため、基準点がTOEFL61点です。
そのためカウンセラーが粘り強く大学と連絡を取り、合否結果を出すのを遅らせてもらいました。
青島さんはその間についにTOEFL62点を取り、カウンセラーが直ぐにスコアを大学に送り、合格をもらいました。
青島さんの合格が決まったのは5月で、日本のN大学には前期いっぱいの7月まで在籍しました。
1年生の後期と2年生の前期に、カウンセラーの指導のもとアメリカの大学で認められそうな一般教養科目の単位をたくさん取りました。
カウンセラーは青島さんがN大学で履修した科目の単位がなるべく多くMuskingum Collegeで認められるよう、講義要綱を工夫して英訳したところ60単位を認めてもらえました。
一般教養科目にあてはまらないものは、自由選択科目の単位として認められたので、あとは専攻であるスピーチコミュニケーションの科目と、一般教養科目と自由選択科目の残りのわずかな要件を満たせばよいので、2年間で卒業できる見通しがたちました。
その後、青島さんはN大学には退学届けを出し、Muskingum Collegeでスピーチコミュニケーションを専攻し、意欲的に毎日勉強しています。