@ アメリカ人はなぜ大学に行くのか

つねに勉学を続けることの必要性

 

「人生に迷ったり自分を高く売りたくなったら、大学や大学院に戻る。

 

隙あらばベンチャーを狙う。

 

最初に入る会社ではなく、最後に入る会社に自分を高く売りたい」というアメリカでは、出世したかったり、よりよいお給料を望む人は、つねに勉学を続けなければなりません。

 

情報技術の発達があまりに早い現代では、 ますますその必要性が高まっています。

 

仕事を通じてキャリアを上げるというのも一つの手ではありますが、これだけ技術の進みかたが早く、また、どんな情報も一瞬にして世界を廻るという時代では、きちんとまとまった勉強をしなければ ともかく先ヘ進めません。

 

もともと社員は必要なときに必要な人数を採用し、終身雇用を約束するものではないというアメリカでは、会社を渡り歩くことも、まったく異質の職種に変わることも、会社員から公務員、公務員から会社員といった転身も、何もめずらしくはありません。

 

そもそも大学を卒業するのに、4年かけたり、また3年だったり3年半だったりと、自分でマネジメントして期間を決めるので、日本のように一緒に大学に入って一緒に卒業して、一斉に就職して一斉に定年退職を迎えるなんてことはないのです。

 

もっとも、日本のこの一斉に就職して一斉に定年するという方式も戦後の1960 年代から始まったことです。

 

その前は東大を出ても就職はなかったり、会社というものの組織もいまのようにしっかりしたものは少なく、多くは農業や商業従事者だったわけです。

 

現在では、一応、一斉に卒業して就職するものの、 2〜3年でやめる者が続出し、会社自体も不安定で、早期退職制度も一般化し、一斉の定年退職もとても怪しいものになっています。

 

終身雇用が崩れたことで、仕事についての考えかたも、アメリカのように変化せざるを得なくなってきています。

 

アメリカ人に見る、多種多彩な学歴と職歴

 

私のボストンのオフィスに勤めていたアメリカ人で、勤め始めて3年半後にBoston UniversityのMBA(経営学修士課程)に進学した者がいます。

 

彼は、アメ リカの名門リベラルアーツ・カレッジを、Englishの専攻で卒業しました。

 

たまたま日本の文部省(当時)からの、高校の英語の先生を求める募集を目にして、おもしろそうなので応募してみると受かって、いままでまったく知らなかった日本にやってきました。

 

その後日本で4年間先生をし、1年間デパートでお客様係の仕事をして、ボストンに帰って、私のオフィスに勤めるのですが、何しろ日本語もペラペラになって、日本の社会にも大変興味をもったものですから、 日本語を武器に、日本相手の企業でバリバリ働きたいと思い始めたのです。

 

そのためには、教育畑しか歩いてきていませんので、やはりMBAを取得したいと考えました。

 

私のオフィスでの最後の1年半は、週に2回程度、夜間の大学で、経済学や経営学の授業をとり、お金も貯めて、MBAコースに入学しました。


別の知人は、やはり普通の大学を出て普通の会社に働いていましたが、たまたま公務員になる機会があり、州の公務員になりました。

 

どうしても仕事上法律の知識が必要なことが多く、勉強熱心な彼はロースクール(法科大学院)に入学し、 卒業して、また公務員をしていましたが、なかなか有能なので民間の一流企業にヘッドハンティングされました。

 

働いてみると、もっとビジネスの知識が必要だと思い、今度はMBAに入学し、ついに30代後半で、ある有名企業のナンバー2にまでなりました。


第二次ブッシュ政権で、一番有名になった黒人女性のライス長官は、15歳で飛び級してUniversity of Denverに入学。

 

そのときの専攻はピアノでした。


大学入学後に国際関係に大変興味をもち、専攻を政治学に変えています。


19歳で大学を卒業し、University of Notre Dame大学院に進学、1年で修士号を取得。

 

それからUniversity of Denverに戻り、博士号を得ます。

 

その後 、 Stanford Universityの教授として、またブッシュ元大統領のお父さんが大統領だったときには東ヨーロッパ・ソ連(当時)の専門家として、敏腕をふるい、ついに国務長官にまでのぼりつめました。

 

小さいころに人種差別を受けたことが、彼女の向学心に火をつけたといわれています。

 

すさまじいまでの出世コースまっしぐらです。

 

アメリカ人にとっての大学とは

 

アメリカ人にとってはより高い収入、地位、よりよい生活を求めて前進するためには、大学や大学院が欠かせません。

 

大学院は別名プロフェッショナルスクールと呼ばれ、高度な専門技術が必要な分野――医学や法学、歯科、獣医学など――は、大学院でしか教えられません。


大学には医学部や法学部は存在しないのです 。


18歳で医者になるのを決めるのは早すぎる、大学でもう少し勉強して人間形成をきちんとしてから決めてほしい、と考えられています。

 

それではアメリカ人にとって大学は何かというと、

 

・将来、大学院や職業を通じてより高度な人聞になるための「全人教育」

・そんなにレベルの高い専門技術を要求されない「職業教育」

 

の二つの役割を果たすものです。


ホワイトカラー、中産階級の人たちは全人教育のほうを、ブルーカラー、または中産階級より低いレベルの人は、職業訓練のほうを好みます。

 

前者の代表はリベラルアーツ・カレッジであり、後者の代表はコミュニティ・カレッジです。

 

大学での4年聞は「人間形成」のとき

 

アメリカでは、一般に「18歳になったら家を出て、寮生活をして親離れをするのが大学の役割」「大学で学ぶことは分析力と判断力と決断力」といわれています。

 

何しろ高校まで親の家にぬくぬくと育ち、冷蔵庫には食べ物がギッシリ、おじいさんおばあさんも長生きで、飢えるとか死ぬとかいったことを目の当たりにすることが少なく、一人で生きるということへの自覚も足りない、そういった若者が、たかが大学4年間の教育で専門性を身につけるのはなかなかむずかしいので、大学ではまず人間形成をすることが大切だというわけです。

 

日本の教育の中心に据えられている集中力・記憶力・自己管理能力も大切ですが、分析力・判断力・決断力はより大切だと考えられています。

 

たとえば、「リンカーン大統領が奴隷解放をしたのはいつか」ではなく「あなたがリンカーンだったら本当に奴隷解放をしたか」ということを自分で考える必要があるとされているのです。

 

また、社会に一歩出れば上司やお客との人間関係もむずかしいわけですから、ルームメイトと狭い部屋をシェアし、フェアの精神を身につけること、そして社会性を得ることが大切だと考えられています。

 

親から離れて社会に出る前に、寮生活を通じて、一人立ちできる能力をつくりなさい、というわけです。

 

このためアメリカの大学の多くは広大なキャンパスの中に、教室・図書館などと一緒に、大学生活に必要な寮や食堂などあらゆる設備が整った一つの町ができあがっていて、日本のような都会的刺激に囲まれることもなく、まさに「キャンパスライフ」 と呼ばれる学生生活を送ることになります。

 

州によって異なる教育制度と教育レベル

 

アメリカでは、教育は、国家の政策の最も重要な位置を占めるものです。

 

なぜなら、アメリカ人は、もともとアメリカ人であったわけではなく、自らアメリカを選んでアメリカ人になった人々、または数世代前の先祖がやはりアメリカを選んでアメリカ人になった人々、あるいはむりやりアメリカに連れて来られてアメリカ人にならされた先祖をもつ人々であり、いまでもアメリカ人になりたい人が 世界中から押しかけてくるからです。

 

ただアメリカ人になるだけではなく、アメリカという国家のためになるよう、それなりの教育を受けてちゃんとした立派な アメリカ人にならなければならないわけです。


アメリカは、国家といっても、はじめは 13州だったものが 50州までになった州の集合体ですので、州によってさまざまな制度や法律が違います。

 

ニューヨークとハワイとでは消費税の率が違うということに気がついた人もいると思いますが、税金の制度も違います。

 

たとえばマサチューセッツ州では、175ドルまでの衣料品には消費税がかかりません。

 

教育制度も州によって違うため、義務教育の年月もバラバラですし、使用している教科書のレベルもじつにさまざまです。

 

だいたい16、17歳までを義務教育としている州がほとんどですが(高 1~高 2にあたる。このためアメリカでは一般に「高校までが義務教育」といわれる)、日本でも高校によってレベルが異なるように、アメリカでも各校によってずいぶんレベルが違います。

 

ましてや州の政策も違うし、教科書の統一性もまったくありませんから、ニューヨーク郊外の高級住宅街にある高校1年生の教科の内容と、カリフォルニアのメキシコ国境に近い、ほとんどスペイン語しか喋れない人たちが中心の町の高校の教科の内容とでは、日本ではちょっと考えられないくらい大きな差があるのです。

 

あらゆる人に教育を受けるチャンスが与えられる

 

よりレベルの高い高校を、しかも優秀な成績で出た人たちは、Harvard UniversityYale Universityなど、日本人にもおなじみの名門校に進みます。

 

そこまでいかなくても、アメリカには何しろ世界一たくさんの大学(約4,000 校)がありますので、その次もその次も、またその次のレベルの大学も用意されています。

 

レベルの低い高校でも、そこでトップレベルの成績を修めれば、名門大学に入学することが可能です。

 

しかし学校のレベルも低く、かつ本人の能力も低いとなかなか大変です。

 

高校を出たといっても、日本の中学校の低学年くらいのレベルであるかもしれません。

 

高校までが義務教育のアメリカでは、ごく普通の高卒で、日本の中卒くらいの能力であってもおかしくありません。

 

アメリカは、何しろ州により地域により学校により、教育レベルの格差が大きいので、それを是正する意昧でも、飛び級という制度が設けられています。

 

したがってライスさんのように15、16歳で大学に入学することも可能なのです。

 

また、たくさんの奨学金が用意されていて、どんなに貧しくても、優秀であればいくらでも大学に行くことができます。

 

名門大学のなかには、必ず「マイノリティ(白人以外の人種)の人を毎年○%採る」と決めていて、黒人や中南米系の人たちの入学枠を設けている大学もあります。

 

州立の大学は、まずは州内の学生にチャンスを与えることが大切だと考えられていて、たとえばUCLA(University of California, Los Angeles)やUC Berkeley(University of California,Berkeley)といった名門の州立大学でも、カリフォルニア州の高校であれば、高校のレベルに関係なく、その高校でトップの生徒を入学させようとします。

 

それではレベルの低い高校に入ってトップになったほうがUCLAに入学できて得だ、なんて考える人もいるかもしれませんが、高校のレベルの差はいきおい地域レベルの差に比例することが多いので、アメリカ人は、安全性とか、自分たちの家庭なりの品性とかプライドとかいうものを、UCLAに入ることよりは優先しますので、あえてレベルの低い地域(おもに経済的なレベルですが)の学校に子どもを入れるようなことはしません。

 

それにUCLAだけが大学ではなく、ともかく大学はいっぱいあるわけです。

 

コミュニティ・カレッジのありかた

 

あまりレベルの高くない高校で、かつ本人の能力も意欲も低いとなると、高卒で就職ということになるのですが、何しろ日本の中卒くらいですから、なかなか就職口はありません。

 

ゴミ集めや清掃など、限りなく単純作業で、賃金はとても低いものです。

 

まして日本のように、会社や工場や商店の上司や先輩が、新入りの若者に手取り足取り教えるなんてことはないアメリカです。

 

即、使える者が欲しいのです。

 

そうなるともう少し、教育が必要です。

 

そこで、希望すれば、地域の者ならだれでも入学させてくれて、お金もほとんどかからず、また、働きながら通うこともできるコミュニティ・カレッジがたくさん用意されています。

 

とくに第二次大戦後、あらゆる技術が大きく前進し、農業も機械化されて、ど んな仕事にしてもある程度の教育や技術が必要になったので、このコミュニ ティ・カレッジがどんどんつくられました。

 

また、とくに大戦後、戦争から帰国した若い兵士や、アジアや中南米からの移民が大幅に増加し、英語教育と職業訓練の必要性が増したため、このコミュニティ・カレッジが増えたのです。 続き