アメリカでは1600年代に入って、イギリスから清教徒(ピューリタン)と呼ばれた人たちが、続々と東海岸にやってきます。
1600年といえば、ちょうど日本で「関が原の合戦」があった年です。
イギリスのプリマスというところを出発した人たちだったので、着いた地点をプリマスと名付けました。
丸太小屋をつくって少しずつ人間らしい生活ができるようにしていったのですが、冬になると、気温は氷点下に下がります。
生活は、それはそれは大変であったと思われます。
それでも、そこに住みついた人たちは、16年後にはもうハーバード大学を創立させているのです。
大学といっても、いまのような大きなものではありません。
小さな私塾のようなものです。
ハーバードの最初の卒業生がみんな牧師になっていることからもわかるように、まず、牧師を養成する学校として始まったのです。
その地はいまだ国家でも州でもなく、イギリスの植民地でした。
かといってイギリスから軍隊が来るわけでもなく、20世紀につくられた植民地に比べると名ばかりです。
ハーバードという名前の人が本を寄贈し、何とか学費を工面してやって来られる人たちが集まって開校されたわけです。
アメリカの大学は、このように私立から誕生しました。
いまでもアメリカでは、州立大学より私立大学のほうがステータスが高く名門校が多いのは、このような歴史的事情によるものなのです。
国立・官立から始まった日本とはまるっきり正反対です。
当時は、現在のような入学審査はなく、もちろん、日本のような受験制度もありません。
「志ある若者よ、来たれ」ということで、望む者をまず入学させるということであったわけです。
いくら若者よ来たれといっても、志があり金銭的工面ができるということは、やはりその時代としては裕福な知識階級の人たちでした。
少しずつ町ができるにつけ、牧師養成というより、いまでいう村長や町長になって、ひいては国家を築き上げる人たちを養成しようということになりました。
そういった人たちは、何か特別な分野に優れているというより、人間としてバランスがとれていて、知識が豊富で、リーダーシップをとれるのが望ましいと考えられ、ピアノを弾いて歌をうたい、文学を愛し、絵を描き、天体観測や科学実験をし、海にもぐり山に登り、また政治や経済について論じられるような人を養成することをめざしたのです。
アメリカの大学はまずは牧師、次いでリーダーを育てることからスタートしたわけです。
アメリカでは、そういう人を養成する教育を「リベラルアーツ教育」と呼んだのです。
日本ではこれを「全人教育」と訳し、慶應大学、早稲田大学、同志社大学をはじめ、たくさんの私立大学がこの理念を取り入れてつくられました。
このようにしてアメリカの大学は、私立のリベラルアーツ・カレッジからスタートします。
そしてYale UniversityやPrinceton University、Columbia Universityなどの各大学ができ、 1776年に13州からなる独立国家ができあがったのです。
何しろ広大な大陸(日本の25倍)ですから、東の13州が独立して立派な町ができていたとしても、大陸の真ん中や西側はまだまだ未開の地で地図さえ正確ではありません。
かくしてアメリカは、西ヘ西へと進出し、次々と新しい州を増やしていきました。
どんどん開拓が進んで、はじめにイギリスから入植したワスプ (WASP)と呼ばれるアングロサクソンの人たちだけでなく、アジア人も含めてあらゆる人種がこの大陸に入ってくるようになり、どんな人にも教育の機会を与えたほうがひいては国家のためになるという考えが生まれ、公立・州立の学校がつくられるようになりました。
州立大学はとくに農学や畜産といった実学を教える機関として発展していきます。
公立・州立の学校は、その地域や州の人が望めば、どんな人にも無料で教育を与えるということでできあがったものです。
したがって日本のように、国立・県立のほうがレベルが高いという考えはありません。
また、東から西へと広がっていったので、いまでも東のほうの古い州は私立が中心ですが、新しい州ほど、「すべての人に教育を」という理念のもとにできた州立・公立が多いというのがアメリカの特徴です。